「ゴおのぉぉぉぉぉぉ!!! 放ゼぇぇぇ!!!」 怒声が響く。 静かな森は、度重なる混乱のうちにその静謐さを失っていた。 鬼の表情のアルテミスが両脇からアポロン、ヘルメスに押さえつけられている。 ディオニュソス一味を追いかけていた彼女は、同じくディオニュソス一味を追いかけていたアポロ ンとヘルメスに出くわし、何事か察知した彼らにこうして道をふさがれているのである。 アルテミスは恐ろしい女神である。 ギリシャの神々はそのほとんどが感情の起伏が激しく、アルテミスのような処女神はその性質上、 他の神々よりも強い不可侵の領域を持っている。ゆえに一度領域を侵されれば烈火のごとく、嵐のよ うに凄まじい怒りを露わにし、異常とも思えるほど犯罪者をどこまでも追跡し制裁を加えるのである。 その彼女は今、両側から抑えられているにもかかわらず縛めを解こうとする猛獣のごとく、ジタバ タともがいていた。 アポロンはいつものことながら辟易した表情でヘルメスに目配せする。 ヘルメスの方も理解したのか、うなずき、 「アルテミス様、落ち着き下さい!」 「ガぅあぁぁぁぁぁぁ!!! 放ゼぇぇぇぇ!!!」 「落ち着き下さい!」 「放ゼぇぇぇぇぇ!!! ガヮぁぁぁぁぁ!!!」 ヘルメスは困った表情でアポロンに顔を向ける。アポロンも困った表情で、 「アルテミス! おい、こら! 兄ちゃんだぞ!」 しかし猛獣はそれでも声にならないうなり声をあげている。 「聞こえてるのか、こら! ディオニュソスはいっちまったんだよ!」 その言葉に一瞬、アルテミスの動きが止まる。 アポロンの顔を見る。 怒りなから、目尻にはうっすら涙が浮かんでいた。 「うぐ、兄さん………?」 アルテミスの表情から怒りが消え、呆けた表情へと変わる。 それを見たアポロンはようやくアルテミスの腕を放し、つられてヘルメスも腕を放した。 恐ろしい表情をしていたが、アルテミスは兄に似ている。 それもそのはず、彼らは双子神であった。大きな両眼がきらきらと潤んで特徴的だが、それがあま り気にならないのは一直線に通った鼻筋とふっくらとして少し赤みのさした肌、それに血色のいい唇 のためだ。栗色の髪は前髪を出すだけで、頭全体に布を巻き付けて小さく束ねてある。布が多少盛り 上がっているところから、本来は髪がかなり長いことをうかがわせた。 「やっと落ち着いたか」 アポロンが言った。 「ディオニュソスって……?」 アルテミスはうつろな眼をアポロンに向ける。 「まあ、少し腰を落ち着けなされば……」 ヘルメスがうながす。 アルテミスはあたりのふかふかした草の上に腰を下ろし、アポロンは木の根に腰を下ろし、ヘルメ スも見定めるように立っていた。 「兄さん、ディオニュソスって何のこと?」 「ああ、それな……。まあ、とりあえずお前から話せよ」 「え、ああ……。ま、いいけど」 アルテミスは足を組みなおす。よく見ると、他の女神の衣が足下まであるのに対し、彼女の着てい る衣は膝あたりまでしかなく、膝から先が白くのぞいていた。おそらく、野山を駆ける都合上、衣の 丈が長いと邪魔になるのだろう。 「簡単よ。悲鳴を聞いて駆けつけてみれば、怪しい男がのぞいてたって言うじゃない。そんで、いつ ものようにふんじまるために、追っかけていたってわけ」 淡々とことの次第を話すアルテミスが、さっきまで世にも恐ろしい姿をしていたとは考えると空恐 ろしくなる。 一方のアポロンは、これもまたそんなことに気を止める風もなく、頷きながら仲良く話しているの である。 「そんなこったろうとは思ったけどよ。でも、人間ならまだしも、勝手に神を動物なんかに変えちま ったらまずいだろ? 懲罰喰らっちゃうかもしれないんだぜ? わかってんの?」 「は? それってディオニュソスがのぞいたってこと? え、でもなんであいつがここにいんのよ?」 それにアポロンは少し苦い顔をして、 「あ? ああ……まあな」 アルテミスが怒気をちらつかせた瞳で見てくる。ここは穏便に話を持っていかなければ。 アポロンはゆっくり、言葉を選びながら話し出した。 「長い話になんだけどな………」 |