彼らの旅は必ずしも順調ではなかった。 と言っても、ヘルメスの、かの旅人を導く力によって神域への旅にたいした障害はなかった。ただ、 異母兄弟で、父親似で無頼漢の、自分に嫌みったらしい目つきと態度を向けてくる道連れだけが気が かりで、目的ゆえに楽しいと言えないまでも、すきま風が吹いていることが旅を困難にしていた。 意見の相違は障害を生む。 彼らはことごとく食い違った。 始めに突っかかるのは決まってアポロンの方だった。ヘルメスはそれを聞き流すか、無視するかし ていたが、時々いらぬ口をはさんでは、不和の種をまくのだった。 「たくっ、何だってオレが出向かなきゃならねぇんだ。親父の力でパパッと、すましちまえば簡単な のによ!」 「……これだから」 「ああ? なんだと!?」 「いや、何も……」 「ここで勝負つけるか、コラ!」 アポロンはまさしく烈火の如く、ヘルメスに躍りかからんばかりの形相で睨みつけた。まさに大神 ゼウスの子。普通ならそれだけで命を取られてしまう威力だったが、そこは慣れたヘルメス、平然と している。 「喧嘩は好きじゃありません。私も気が向きませんから……」 ヘルメスは薄々感づいていた。 どうしてゼウスが自分と不仲のアポロンと一緒に問題解決に向かわせたのか。 おそらく、これを機会に仲直りさせる魂胆に違いない。 いつもの手だ。 問題を押しつけて、勝手に解決するのを高いところから見ているのだ。 ヘルメスは少し歯がゆくなる。だが、そこは天神としての矜持。道連れに気取られてはならない。 冷静を装う。 「もうそろそろですよ。……ほら、あれがそうです」 目の前に見えてきたのは、険しい崖に挟まれた丘に広がる青草生い茂る野原だった。一面に敷き詰 めた草の上には、所々にオリーブの低木が見え、果実をたわわに実らせている。 この不思議な野は、しかし、また不思議な華で飾られていた。 踊り狂う女達である。 不規則に、荒れ狂う風のように舞いながらも、たなびく衣の端や揺れ動く長い髪の妖艶さ、狂乱は 息苦しささえ感じられるが、目を奪われるものもあった。 「あれがそうか……」 アポロンは目を見開いた。 恐ろしい、これほど恐ろしいものがこの世にあったのだろうか。 女達は全身を赤く傷だらけにし ながら絶え間なく乱舞している。彼女達の足下には何やら黒い固まりが散乱し、草を濡らしている液 体が見える。それが肉塊とおびただしい血だと彼らが知るまでには、そう時間はかからなかった。 それは、彼女達を追ってきた男達の変わり果てた姿だった。 狂女は追っ手を無惨に引き裂き、骸を原形を止めないほどの状態にまでしたのだ。 これこそ、ディオニュソスの狂喜に取り憑かれた狂女、マイナスの姿だった。 「まったく、酷えことしやがって……」 「ああ…私の野が……」 彼らは野に足を踏み入れる。 止める手だてはない。 だが、彼らはそれでも足を踏み入れた。反発する二神は、しかし目的は同じだったのだ。 「神の仕業だな」 「ええ、間違いありません」 「……あのガキ!」 マイナスはディオニュソスを崇拝する女性のなれの果て。つまり女達をマイナスにしたのはディオ ニュソスしかいない。狂乱と陶酔を司る彼ならたやすいことだ。 目を血走らせたアポロンはぐるりとあたりを見渡した。 と、何者かがこちらに向かってくるのが見える。 よたよたと、暗がりから現れたと思ったとたん、毛むくじゃらのおかしな生き物が二神の前に倒れ 込んできた。 「ア、アポロン様……」 「ん? どっかで見たやつだな」 「おお、シレノスか!? どうした、なにがあったのだ?」 老体のシレノスは今にも死にそうに息を詰まらせながら言った。 「ぼっ、坊っちゃまが……」 |