孤独のために幸福を追う。

 だが、そのために他の幸福を壊してしてはいけない。

 それは孤独から悔恨。闇から闇へ。何ら変わりはないのだ。

   しかしそれでもディオニュソスは思う。

 それでは何のための抗いなのだ?

 幸福を求め、もがくことに何の意味もないというのか?

 抜け出すことはできないというのか?

 ディオニュソスは深い憤りを感じる。

 自分の運命に対して。

 そして、自分の弱い心に対して。

 彼は両手を固く握った。
  掌にはうっすらと汗がにじんだ。



  再び沈黙が流れた。
 二人の視線はもう通い合うことはない。
 ただ冥界の静けさが支配するのみであった。
 しかし、ディオニュソスはその気配、その静寂にはどうしても従うことができない。
 彼は宙を恐ろしい眼差しでにらんだ。
 そして意を決したように口を開きかける。
 しかし、その時だった。
「ふざけんじゃないわよ!」
 扉をこれでもかという勢いで蹴り飛ばして現れたのはアルテミスであった。
「ガタガタと、暗ーい話ばっかして。あんたたちムカつくのよ!」
 突然の登場に気圧された二人だったが、すぐに表情を曇らせる。
 アルテミスがディオニュソスに詰め寄る。
「あんた、よくもやってくれたわね! ぶっ殺してやる!」
 少々下品な言葉を浴びせられてもなお、ディオニュソスには動揺が見られない。
「アルテミス殿、おやめ下さい! 冥王様、申し訳ありません。すぐに連れ出しますので」
 ミノスが仲裁に駆け込んでくる。そのあとに続いてアポロンとヘルメスも現れ、アルテミスに飛び
かかっていった。
「やめろ!」
 アポロンが叫ぶ。
「やめなさい!」
 ヘルメスが叫ぶ。
 団子状態になって争いが繰り広げられる。
 しかし、ハデスの視線はそれとは別の場所にあった。
 彼らに続くように扉の向こうから純白の衣に身を包んだ女神が姿を現したからだ。
「ハデス様、お久しぶりです」
 進み出てきたのはアテナであった。
「聞いていたか……」
「はい。ハデス様のお話しはしかと……」
 ハデスは嘆息をついた。
「あなたがそのように悩んでおられたとは存じませんで……」
「よい………よいのだ……」
 ハデスの声が細くなっていく。
 アテナは唇を固く結ぶ。そして凛とした声で言った。
「しかし、先ほどのお話しは間違いです。ペルセポネ様はあなた様を恨んではおられません。むしろ、
信頼をお寄せになり、愛しておられます」
 その言葉にハデスの眼がわずかに見開かれたようだったが、すぐにうつろなものへと戻っていく。
「私のしたことを知っておろう」
 ハデスは無垢なる少女を連れ去り、冥界に押し込め、無理矢理婚姻を結ばせた……。それが罪、そ
れが呪縛である。
 アテナの瞳はそれをすべて理解している、と言っていた。
 そして、その上で、彼女は優しさにあふれていながら決然とした瞳で言うのだ。
「はい。しかしそれに対してペルセポネ様は何も恨んではおりません。はじめは恐怖によってあなた
を敵視していたかもしれません。しかしペルセポネ様はあなたがなぜ自分を連れ去るようなことをな
さったのか、あなたが何に悩み、何を欲していたのかわかっておいででした」