「だぁからぁ、私は猛烈に怒ったのよ。うら若き乙女を辱めるとはなんたることかっ! てね」
 それからしばらくのち、眼をさましたアルテミスの前にはアポロン、ヘルメス、アテナ、その従者
のニケがいた。彼女はアテナに膝枕をしてもらい、力の抜けた体を横たえて、声だけを威勢良く張り
上げていた。
「兄さんの信託所の娘達だかなんだか知らないけど、そんな恥ずかしいことされて、他人ごとながら
腹が立つじゃない。それでカーッとして……で、なっちゃったわけよ」
 前にも述べたようにアルテミスは処女神である。それはつまり人間の女性の処女性を守護する役目
をも持っているということである。
 うら若き女性は純粋であり、貞節であらねばならない。ディオニュソスの行為は、それらを守護す
るアルテミスにとって、どうあろうと許すことができない蛮行であった。
 狂ったを瞳し、獣と化した娘達を知ったときの、彼女の怒りがどれほどのものであったか。
 それは自らが辱められたことと等しく、身につまされる思いであったろう。
 だが、それにしても、アルテミスの怒りは尋常ではない。
 彼女の内なる怒りは、何か鬱屈したもののはけ口ではないかと思いたくなる。
 処女神と同時に彼女は出産の神でもあるのだ。どうやら彼女は『生』の権化らしい。
 そう、鬱屈。今の彼女には、怒りがどこへ向くか分からない。
 と何を思ったか、アルテミスは突然アポロンを見据え、
「兄さんが悪いのよ、あんなこと話すから!」
 とかなんとか言いだしたものだから、アポロンはたまらない。
「お、俺のせいか!?」
 アポロンは呆気にとられる。
 助け船が出る……かと思われたが、どうやら他の二人はアポロンの説明に不手際があったと思った
ようだった。
 ヘルメスがうなずく。首肯する。それは容赦のないものだった。
 アテナにしてもそれは同じだ。
 彼女は鋭い目つきでアポロンを見すえた。
 そして一言。


「沈黙は美徳ですよ……」



「オ、オレのせいなのかぁぁぁ〜〜!?」
 そしてアポロンは下を向いたまま動かなくなってしまった。


「ともかく、罪は糾弾しなければなりません。ディオニュソス様を追いかけるべきでしょう」
 ヘルメスの言葉に、いじけたアポロン以外の全員が沈黙をもって賛同する。
 その時には、サテュロスの犯行はなぜかディオニュソスの行ったものとされていた。
「ところで、あいつがどこに行ったかわかるの?」
 ヘルメスは渋い顔をつくる。
「……それはわかっています」
 答えたのはアテナだった。
「ここから少し行った場所に洞窟の存在を感じます。そして、彼の痕跡も……」
 ヘルメスはさらに渋い顔をつくる。
「さすが叡智のアテナ様!」
 ニケがいつものビャービャー声で賛辞を送った。
「……ま、まあ、それはそれとして、すぐに出発しましょう。アルテミス様はお疲れでしょうから、
ここに残られるとして……」
 ヘルメスの言葉にすぐさまアルテミスが反応する。
「ちょっと待ってよ、私も行く!」
「そうは申されましても……」
「私も被害者の一人なの! 事の顛末を見届ける権利があるはずでしょ!」
 ヘルメスはまた渋い顔をつくる。
「……では、アポロン様にお頼みしましょう。あなたならすぐに回復されるでしょう」
 アテナのその一言で決まった。
 うつむいてブツブツ言っていたアポロンはたたき起こされ、否応なしに妹の運転手となり、アルテ
ミスは兄の背中に乗った。
 問題の洞窟はそれほど遠くはなかった。
 彼らはその暗がりへ足を踏み入れた。
 誰もがこの闇の向こうに何が待ち受けているのか薄々感ずいていた。
 神なら誰もが知っている事実。
 曰く、

「地上に空いた地下への入口はすべからく冥府へ通ず」

 だが、そんなことは他人の悪さのとばっちりを受け、罵られ、挙げ句に妹を担ぐ羽目になった、名
誉を失墜したこの神には関知するところではなかった。


「侮辱だ。これは俺に対する侮辱だぁぁ!!」


 その声が閑静な森にこだましたのは言うまでもない。