雪散る松月門外での一件は、剣術指南に呼ばれた元春の伴をして帰路につく途上、偶然居合わ
せたものだった。
和那の海を隔てた隣国である華国からの圧力が高まっていた時期だった。
郎党数十。帝宮に焼き討ちを仕掛け、無理矢理動乱を起こした上で華国が和那に干渉する。
そうした筋書きだった。
結果としては、華国に懐柔された和那の一部急進派が起こした事件ではあったが、成功していれば
帝の命すら危ういところであったに違いない。
曲者は帝宮北東の松月門から参宮してきた親王の駕籠を襲い、従者もろともすり替わった上で何食
わぬ顔で帝宮に侵入。内側から門を開け放ち、続く武装した郎党を招き入れるという算段であった。
しかし、初段で問題が起きた。
親王の駕籠を確認し、急襲を図ったまではよい。
だが、目撃者があった。
傘を差して帰路につく一之介と元春である。
通報されてはこの後に続く行動に支障が出るのは目に見えている。
従者を殺し、駕籠に手をかけようとしている光景に一之介と元春は立ち止まった。
それを見た曲者たちは示し合わせるまでもなく凶刃を揮い、襲いかかった。
咄嗟に差していた傘を投げかけたのは一之介であった。
一瞬、曲者の視界から二人の姿が消える。
そこに隙を与えず、元春の抜刀が閃いた。
傘をもろとも先頭の男を斬る。齢重ねたとはいえ、見事な剛剣であった。
突然の逆襲に残る曲者は瞬時、態勢を失う。
それを見のがさず、元春の背後からすでに抜刀していた一之介が飛び出した。
一人斬った返しでもう一人斬る。
その間をついて上段に構えて襲いくる曲者に、脇にもぐり込んで柄頭で制し、流れで斬る。
続けて、駕籠の側にたかる数名を刺突する。
背後から胴を狙う相手には、切り返して小手を弾き、ふらついた隙に逆なでする。
決して止まることなく、次々と斬って伏せた。
一之介が傘を投げてから、それほど経ってはいなかっただろう。
知らぬ者にはなにが起こったか判断できないに違いない。
水月流の剣は流れる太刀筋、斬るという瞬時の決意、あらゆる闘法・筋の研究にあった。
つまり、一度相手を斬ってしまえば、戦意をもっている者がいなくなるまで立ち回りをやめない、鏖殺の恐ろしさがある。
このときにも、十数人を切り伏せ、あとが恐れをなして逃げ去るまで、一之介は太刀を揮うことを
やめなかった。
残されたのは、血と脂がこびりつき雪に朱を滴らす太刀と、たたずむ一之介のまわりに横たわる曲
者の亡骸だった。
元春も三人斬った。
しかし、たった三名だった。
あとは一之介がすべて斬った。いや、正確には元春に襲いかかろうとする曲者まで一之介が斬った。
両断された傘を拾い上げて、足下の雪をはたく元春は、いまだに弟子が屍の中で太刀を提げたまま
微動だにしない姿を見た。
そして、さらに見た。
一之介の眼がすでに何のてらいもなくなったというのに、あらぬ地をさし、凍っている。
修羅という言葉が元春の脳裏をよぎった。
立ち稽古でも、咄嗟の斬り合いにも、これまで見せたことのない顔であった。
いつまでも童子であるばかりではない。
それは承知のはずだ。
ただ、むくりと邪な感興が去来する。
あの顔に斃されるのだ。
兵法者として本望。
そして、その顔を斬るも本望である。
いつかの血の約束も、もう目の前であるかもしれない……。
このとき、元春は免許皆伝を授ける決意をした。
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