斎木一之介が水月流師範・瓦井元春から道場に呼び出されたのは、およそ一週間前に遡る。
「高弟教えるべし」とのたまい、あまり道場にさえ顔を出さない元春である。元春とは師弟の間柄か
ら懇意にすることはあれど、己から進んで会談を設けるなどとはいまだかつてなかったことである。
一之介にとってみれば、あの元春が  一夜の酒代のために伝家の名刀を質に入れ、いざ無刀である
のに困ると、わざと場末に赴いて徒手空拳でごろつきから金を巻き上げ、質に預けた太刀を取り戻す
というような、無節操な行いをしてきた師であるから、きっといつもの催促でもあるのかと思いもし
た。
 しかし、道場の門をくぐる段になって、どうもそうとは限らぬことに気づいた。
 道場は常ならば、正面の戸板が開け放たれ、奥に祀られる正徳大明神の名号が遠目でも見えるはず
である。その逆にしてみても、無人であれば戸板はすべて閉じられ、閑寂の様をしている。
 この時、戸板はすべて閉じられていた。ならば無人のはずである。しかし、元春の呼び出しがあっ
てみれば、中には本人が座していなければならない。はたして、戸板の隙から、一条の灯りが見えた。
 腑に落ちない。しかし、行かねば問いが解けるはずもない。
 一之介は板間に上がり込むと、戸板に手をかけた。
「おお、来よったか」
 板間の軋みで察したのだろう、一之介が入る前に奥から声がかかった。
 灯明を一本脇に据え、元春が一人座していた。
 奇異に思いながらも、元春の前に一之介はしずしずと座した。
「呼び立てて済まぬの。足労であったか」
 勘違いか、故意なのか、元春は怪訝な一之介の面を見て言った。
「いえ。ただ、いくらか」
「なにかあったか」
「解せません」
「ふむ。なにが思わしくない」
 からかっているのではないか、と勘ぐるのも無理からぬことである。
 一之介はひとつ空咳をして様子をうかがった。
「この様はいかなることですか」
「どうした」
「昼間だというのに暗く閉ざし、あまつさえ灯明など持ち出して」
「灯明がいけないのか」
「いえ。ただ、おかしなことではないかと」
 すると、むにゃむにゃと顔をしかめるのは元春である。
「一之介こそおかしなことを言うの。ワシがすることはすべて理にかなったことだぞ。ただ、ワシは
そこらの法をつかわんだけでな」
 しかし、そうはいえど、やはり腑に落ちぬものは落ちぬのである。
「では、この場ではなにに理があると申しますか」
「わからぬか。そうか、わからぬのか。それは悲しいのぉ。ヌシにはわかると思うとったがのぉ」
「師に理があるように、拙にも理があります」
 一之介はいくらか焦れったくなってきた。
「間隙を埋めねばならぬか。以心伝心の気がくまなくあればよいのだがなぁ。まま、仕方あるまいて。
一之介よ、この灯明、どう思うか」
 として、元春はしげしげと傍らの灯明をながめすがめつする。
「どう思うと、おっしゃいますと」
「この地を掴むような菊花脚の趣。細く、しかし瑞々しき幹のごとく立ちのぼる腕。そして柔らかに
優雅に広がる頭の形よ。火皿に灯せば、それは闇という泥濘から出でて金華を咲かせる天上の蓮華の
ようではないか。さらに、漆にてきめ細やかに塗られた造りは洗練の極み」
 一之介には師がなにを言わんとしているか皆目見当がつかない。
「はあ」
 間抜けな声が出てしまう。
「むう、あいかわらず疎いのう。それでも道を極めんとする者か、愚か者」
 そんなことを言われても困る。
 しかし、元春がこの一本の灯明を愛でていることはわかる。
 おそらくは元春の骨董狂いの類だろう。芸道のたしなみとして好み、耽溺する兵法者は多い。しか
し、元春のそれは大いに趣を異にしている。
 灯明などという本来灯り取りの道具でしかなく、またそれほど重要視されてもいないものを、この
ように漆塗りに造作すること自体おかしなことなのだ。それを物珍しいといった風情で愛でるのでは
なく、意趣として愛玩しているのである。そして、その性情を考えればわかることではあったが、灯
明は実用品であるから、火を灯さねば真価ははかれない。碗にしても愛でるだけではなく、茶を点て
ることで風雅を感じるのである。
 だが、昼に暗く囲い、火の点いた灯明を愛でるということは、やはりおかしなことではある。おそ
らくは、惚れ込むがあまり夜まで待てず、といったところだろうか。元春らしくはある。
 思考を働かせて合点した一之介であったが、口には出さず元春の童子のような目の輝きを見守って
いた。 
 まさか自慢のために呼び出したのでは。
 疑念がわく。
 と、そこで元春が煌めきから目を放し、一之介に向き直ってきた。
 その面を見て一之介は感得するのである。これはただの戯れ事だけではない。
 元春はやや間をおいて話し始めた。
「ワシがヌシを呼び立てたこと、察しのよいヌシならば何事かはわからずとも心構えは出来ておろう
はずだが」
 やはりである。
「……ワシはほのめかし、なだめすかすなどという稚気は使わん。用立てとは、ヌシに願いがあるか
らじゃ」
「願い……。師自らがですか」
「いや、願いであり命よ」
「いかなることでしょう」
「勅が下った」
 これは思ってもみないことだった。
「ヌシに西遊せよと仰有る」
「は、西に」
「ワシはそれのみ伝えられた。つまびらかは二日後、慶禄園にて申し渡すとのこと」
 慶禄園とは正三位・篤川盛親の営するところである。帝や上位の廷臣の迎賓に使われる。
 一介の武者が参じるところではない。
 青天の霹靂とはこのことである。
「なぜ拙にそのようなことを。西へ向かえとはどういうことです」
 勅といえば帝宮に住まう帝の命に他ならない。この東海の島国である『和那』を治める天子が、臣
下を通して発令するのがそれだ。しかし、滅多に発せられるものでもない。
 それが場末の道場、それも師範代にすぎない一之介に届くなどありえぬことだ。
 だが、元春は答えない。
 答えられるはずもない。
  一之介は不承不承と退去せざるを得なかった。
「ヌシが若いからであろ」
 灯明の火を消しながら元春がぽつりといった。