二階堂黎人氏は、その著作の中で二階堂蘭子を「女性版ファイロ・ヴァンスとして創造した」とお
っしゃっている。ファイロ・ヴァンスとは言うまでもなく、S・S・ヴァン・ダインが創造した有閑
貴族の名探偵であり、『僧正殺人事件』や『グリーン家殺人事件』においてエラリー・クイーンに先
駆け、論理的推理術で活躍したキャラクターである。彼の特徴は徹頭徹尾の論理思考はもとより、幅
広い知識よる衒学と冷静な犯罪捜査である。これは我ら二階堂蘭子嬢にも共通することであり、その
意味で二階堂黎人氏の言は正しい。実際、ファイロ・ヴァンスシリーズにおける語り手は作者本人で
あり、蘭子シリーズでも記述者は黎人氏本人である。(シャーロック・ホームズシリーズはワトソン
博士=小説中のキャラクター、エラリー・クイーンシリーズでは記述者は探偵自らである)
 追・有栖川有栖氏の作品も記述者は作者本人であった。

 他方、二階堂蘭子はシャーロック・ホームズ的側面も合わせもっていると言えよう。ファイロ・ヴ
ァンスシリーズでの記述者=作者の作中での役割を考えてみる。記述者はファイロ・ヴァンスの友人
であり、彼が関わる事件に無条件で参加でき、その克明な記録をとることを許されている。だが、一
方、記述者は役割として記述のみを行い、事件に口を出すことも、登場人物たちの会話に参加するこ
ともしない(一方的に話しかけられることはあるが)。それは、事件現場にいなければならないとい
う記述者としての必然性と、第三者たるあくまで客観的立場との妥協点であるといえる。だが、「カ
メラマン」の役割を演じるヴァン・ダインと違い、作中での二階堂黎人は「助手」であり、ワトソン
的役割を演じる。まず、人物設定からして彼の作中の役割はより探偵と近しい。黎人は蘭子の義兄で
あり、彼らは一つ屋根の下で暮らしている。幼い頃からともに育ち、探偵としての蘭子の成長をつぶ
さに見ているわけである。とすれば、これはシャーロック・ホームズシリーズのワトソン博士の立場
より探偵と助手との関係は親密なのであり、発展させた形ともいえる。それに加え、ホームズの匂い
がいくらか散見される。蘭子の類い希な好奇心は、ホームズでいう「常に謎と怪奇を求め、己の退屈
することを許さない」性格と似通っているし、物腰は優雅で、冷笑的とも思える微笑みはホームズな
らではであろう。そして、(これこそ一番私が共通することと思うのだが)事件捜査の代償を「仕事
が報酬」という、あの名言を蘭子も信条とするのである。

《人狼城の恐怖》探偵編の中で蘭子は、「相手が犯罪者にしろ、自分が神に成り代わって人間を裁く
権利を有することに、君は疑問を感じないのか」という、後期エラリー・クイーンのような発言に対
し、毅然とこう言う。「私は、けっして自分の立場に大仰な理由付けをしたりしないわよ。探偵は探
偵以外のものになり得ないのだから。その本質に疑いをいだくなんて、自己矛盾もいいところじゃな
い。(後略)」として、フェル博士さながら自分が小説中のキャラクターだと自己申告するすれすれ
のところで、探偵としての意思を表明している。この「探偵としての役割に不審を抱かない」という
発言は、一個の人間としての苦悩や性を切り捨てた本来の探偵を意味している。一連の魔王ラビリン
ス作品に見られる彼女の決然とした正義への信念や、理路整然とした論理思考は、我々が真っ先に思
い浮かべる「探偵」の性質であり、彼女は「完全なる探偵」ともいえるのである。

 作者の意図はここにあるのではないだろうか。ファイロ・ヴァンスとシャーロック・ホームズとい
う二人の名探偵から、探偵として性格や必要な要素を抜き出し、二階堂蘭子というピグマリオンの造
りし像に吹き込んだのだ。理想とする「完全なる探偵」はかくて誕生し、作者が物語の神ならば、探
偵は混沌とした事件を秩序ある解決へ導く物語内の神になったのである。蘭子が「人間ばなれした」、
「何者にも臆しない」というのは、まさに彼女が物語の頂点に立つ存在であるからに他ならない。