クラ目当てのヤシはこっち





05/04/27

《本》

 島田荘司 《暗闇坂の人喰いの木》 / 講談社

《映像》

 《るろうに剣心 追憶編・星霜編》

05/03/16

《本》

 綾辻行人 《迷路館の殺人》 / 講談社

 鯨統一郎 《新・世界の七不思議》 / 東京創元社

《マンガ》


 荒川弘 《鋼の錬金術師》 第10巻 / ガンガンコミックス スクウェアエニックス


 吉崎観音 《ケロロ軍曹》 第10巻 / 角川コミックス・エース 角川書店


 藤島康介 《逮捕しちゃうぞ》 文庫版全4巻 / 講談社漫画文庫 講談社


 和月伸宏 《武装錬金》 第2巻 / ジャンプコミックス 集英社


05/02/16

《本》


  H・G・ウェルズ 《タイムマシン》 / 世界SF全集 第2巻「H・G・ウェルズ」 早川書店


  島田荘司 《夏目漱石と倫敦ミイラ殺人事件》 / 光文社


《マンガ》


  藤島康介 《ああっ女神様っ》一巻〜三十巻 / アフタヌーンKC 講談社












島田荘司 《暗闇坂の人喰いの木》


 横浜、暗闇坂の頂上にある樹齢二千年の巨大な楠は、その昔から忌まわしい謂われがある。もともと処刑場であった暗闇坂上で罪人

の最後を見てきた大楠は、枝からは死体がぶら下がり、うろの中からは不気味な声と骸骨が見えるという。そうした恐ろしい歴史に彩

られた大楠の下に建つ藤並家で、歴史を引き継ぐような怪異が起こる。

 ……台風の過ぎ去った翌朝、屋根の峰に、まるで馬にまたがるように男は死んでいた。




 初期の傑作、《占星術殺人事件》と《斜め屋敷の犯罪》以来のケレン味が、やっと、戻ってきた作品。象徴である不気味な大楠と、

それを取り巻く不可解な事件。倒錯した精神と、二千歳の神木(動植物は千年歳をとると心を持つという言い伝えもあります)が引き

起こす残酷絵巻。まあ、これだけでもグッと来るものはあるのですが、なにより横溝正史の《病院坂の首縊りの木》がおそらく下地に

あると思われるので、横溝ファンにもグッド。しかし内容の方は島田節全開で、ネス湖畔の巨人の家の真相は主たるものです。

 で、ここからが感想。

 ……うーん。もう少しかな。トリックも大がかりなんだけど、いまひとつ驚きというか天地をひっくり返すような衝撃は薄い。《斜

め屋敷》と比べると若干評価は下がるかと。屋根の上のバイオリン弾きならぬ、屋根の上の死者のトリックよりも、巨人の家の真相の

ほうが、あまり事件の本懐ではないけれど、自分としては面白かった。しかし、やはり事件の主題的なトリックではないので、《斜め

屋敷》とは雲泥の差だと思われる。人を喰う大楠、屋根の上の死者、巨人の家などの象徴はステキだが、それを物語に余すところなく

生かし切れているかといえば、どうかなとも思う。やはり、この手では横溝正史や二階堂黎人の方が一段上だと、個人的見解(まあ、

以上の諸氏はそれ専門と言ってもいいような気がするが)。

 映画化が進行中ということで読んでみたんですが、《斜め屋敷の犯罪》のトップの地位は変わらず。しかし、映画化はほかの作品と

比べてしやすいかな、とも思います。ケレン味出して金田一映画っぽくしてくれたら個人的には万々歳なんですが。


 それから、以後御手洗シリーズの重要なキーパーソンとなるレオナ嬢が初登場です。最初は御手洗と一緒に「シャーロック・ホーム

ズとアイリーン・アドラー」みたいになるかと思ったんですが、御手洗のすごさがわかり出すと、急にしおらしくなってしまわれて。

もっと御手洗と拮抗するような姿勢でいてくれたら、とも思いますが、「ホームズと”あの人”(ホームズはアイリーン・アドラーの

ことをそう呼びます)がその後も会っていたら」という島田氏風のイメージがあるのかな、と勝手に想像しています。


 参考:横溝正史 《病院坂の首縊りの木》
    コナン・ドイル 《ボヘミアの醜聞》 




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《るろうに剣心 追憶編・星霜編》

 テレビ版では未消化だった(語られなかった)テレビ版ストーリーの前後を題材にしたOVA。追憶編が以前、星霜編が以後という

構成で、人斬りの贖罪に迷う剣心がいかに罪を負い、いかに贖罪を果たすかが語られる。しかし以上二編が続けてつくられた関係上、

それに《るろうに剣心》の一つのテーマである(私はそう思うが)『罪と贖罪』を掘り下げているため、テレビの版要素やタッチ(あ

るいは原作の)は最小限に抑えられている。バトルも最小限、コメディはほぼなし。幕末・明治初頭に生きたひとりの男の迷いの人生

の活写である。

 これはアニメというより、映画の雰囲気が強い。画もそれに沿うように作画されたもので、原作やテレビ版とは趣が違う。人斬りゆ

えの激情はあれども、まるで宗教画のように静謐な哀しみが流れる。日本映画の影響は受けているだろうと思われるが、この静謐と激

情と哀しみは独特のものだ。

 内容は暗く厳しい。というか、本作に底流する『罪ゆえの哀しみ』は、原作やテレビ版ではコメディやお決まりの勧善懲悪で薄めら

れいた、あるいは隠されていたのだ。それを取り払い、真っ正面から描き出す。そうしたアプローチは、おそらく制作スタッフの《る

ろうに剣心》あるいは緋村剣心への最後の手向けであったのだろうと思われる。これこそ、まさしく《鎮魂歌》と呼ぶにふさわしく思

われるのだが。

 私は、星霜編のクライマックスを観て、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》のフィナーレを思い出した。《トリスタンとイゾル

デ》は、マルケ王の妃にとトリスタンがイングランドから連れてきたイゾルデが、父を殺した仇であったトリスタンを殺し、自分も死

のうとしてと毒を盛るが、手違いで媚薬を飲んでしまい、苦悩の恋に陥るという話で、二人は最後の憩い「死」によって永遠の愛を成

就するという内容である。最後の場面、息絶えたトリスタンの頭を膝にのせ、愛の昂揚の中にいるイゾルデはともに死んでいく。それ

は星霜編の暗喩でなかったか? 人生の苦悩に疲れた男を天の幸福へと歌い、眠りにつく女。まるで安らぎを約束するような舞う桜。

状況や設定は違えども、私はどうしてもこれら二つの間のつながりが見えるような気がする。

 ネタバレになるのでこれくらいにするが、私はこれを観て久しぶりに深い余韻に酔いしれた。危うく落涙するところだった(涙もろ

くない私がそうなるのだから、感動もの!)。しかし、この作品はいわゆる悲劇と救いの物語なので、原作・テレビ版ファンは面食ら

うかもしれないのでご用心を。ただし、普通のヒューマン映画として見る限りではかなりの傑作だと思う。画や音楽はもとより、演出、

声優陣の演技まで抜かりはない。原作・テレビ版が地に着いた作品だとすれば、追憶編・星霜編(特に星霜編)は天へ羽を羽ばたかせ

た作品といえる。その点で、私が嘱望する「アニメの芸術性」の獲得の一つの成果であったのではないかと思う。このような、企画を

構想し、実現させたスタッフ一同には諸手をあげて拍手せねばなるまい。


 参照:《トリスタンとイゾルデ》




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綾辻行人 《迷路館の殺人》


 綾辻さんは、いまのところ評価がどっちつかずの作家さんです。

 なんせ、処女作《十角館の殺人》からして自分的にヒットしなくて、次作《水車館の殺人》でもトリックは大体予想がついたし、

意外な犯人というミステリの常道を踏まえて読むと、大体犯人の察しもつきました。

 しかし、評価してよいところもあります。それは、いままで読んだ館シリーズに一貫して用いられている、構成のトリックです。

《十角館》では島と本土での話が交互に語られましたし、《水車館》では過去と現在が交互に語られました。

これこそが、館シリーズのメイントリックだと、私個人は思うのですが。


今回の《迷路館》もまた同様の作品でした。ただ、今回は、別の場所、別の時間を交互に語る作品ではありません。

もっと、複雑な構成、作中作の形式をとった作品です。さらには、作中作の中で推理小説家が競作するので、作中作中作(?)

になっているとも言えます。


で、内容の評価はというと、ラビリンス神話や複雑な作りの館、クローズド・サークル(閉鎖状況)などの趣向が用いられていて、

大変興味深いのですが、肝心のトリックとなると、大体予想の範疇に収まっていました。「見せかける」というのはよくある手ですし。

私はもっと悲惨な状況も想定していたのですが、それはフェイクだったのでしょうか? 

それについては→ 奥さんの妊娠が関係してくるのかと。ただ、月経時と出産時に出るものは一緒でした。

 で、結局は最後にどんでん返しというか、構成のトリックがありました。ただ、メインのトリックではないので、前作、前々作よりは

弱かったと思いました。

 これが、現在の綾辻さんへの評価です。確かにミステリの王道で、館やその他のギミックが盛り込まれていて、構成の妙味という点では

かなり評価できると思います。しかし、いかんせんガツンと来るトリックや異様などんでん返しや心理が薄いようにも感じられます。

(二階堂を読み過ぎたせいかもしれませんが……)

とりあえず、現行の館シリーズを俯瞰するために読んで、綾辻さんをあらためて評価しようと思います。





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鯨統一郎 《新・世界の七不思議》


 処女作であり姉妹作である《邪馬台国はどこですか?》が結構おもしろかったので、衝動買いしてみました。

世界史に移したこともあって、早乙女静香とともにバーにやってくるのはアメリカの古代史教授です。

いつも珍説を持ち出し、静香をやりこめる宮田も日本史の知識は豊富だが世界史は疎い。

ご都合主義と世界史編への苦心が見られる作品ではあります。ご都合主義というと、バーに設置された機器の数々。

ここは本当に場末のバーか? それとも、いつ行っても客が三人って、会員制? と疑いたくなるくらいの設定です。

当たり散らす静香、あくまで冷静な宮田、ヒヤヒヤもののバーテンダー松永、そして語り手であり、客観的に歴史バトルを

みる古代史教授のジョゼフ・ハートマンと、キャラクターの役割は過不足ないものです。それにしても、静香の口の悪さと

ハイテンションは《邪馬台国》よりパワーアップしてますな。おー恐。

歴史の意外な真相は、《邪馬台国》に比べ、説得力を欠くものも多いのですが、こうだったらおもしろい、というよなロマンが漂います。

アトランティスやピラミッドは、そうなのかも、と思ったぐらいです。

しかし一方、ナスカは以前に知識としてありましたし、ノアの箱船の最後のあたりや始皇帝の最後(義経伝説を彷彿とさせた)、

モアイがなぜ倒されたのかの真相が語らないなど、には不満もありました。

そして、まわりから「鯨統一郎は最後に肩すかしをかます」と聞いていたのですが、案の定、モアイの検証が終わったあとに、

とんでもない暴言が……orz

そりゃないだろ、統一郎! いままでのはなんだったんだ!


……てなことで、日本を賛美してやまない鯨統一郎さんでした。

 (でも、楽しめたよ!)






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荒川弘 《鋼の錬金術師》第10巻


 バトルはいつものコトながら、軍部の皆さんがかなり危険なことになってます。大佐と少尉はブッ刺されるし、

中尉はおそらくこのマンガ始まって以来の泣き顔だし、ロス少尉は? そしてルイは? ってな感じでいろいろ凄いことに。

果てはクーデターの気配まで出る始末ですが、ネタバレになるんでこの辺でカット。

それにしても、シンなんか出てきたもんだからグローバル化が進んでますな。

そういえば、前にちょこっと出てきたメイリンはどこに行ったんだろう……





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吉崎観音 《ケロロ軍曹》第10巻


 こちらも大変なことになってます。前に少年エースチラ読みしたんですが、こんなことになるとは。

作者はドラえもん的予定調和の日常をなげうって、茨の道に向かわせようとしているのか。はたまた日常に飽きたのか。

試練を与えようと? 終わらせようとしているのか? ケロロ軍曹どこへゆく。





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藤島康介 《逮捕しちゃうぞ》文庫版全4巻


全話が四冊になりました。文庫タイプでお手軽。

で、中身を拝見。

……うーん、最初の方は絵も話の内容も吹き出しの語が時代を感じさせるなぁ。

初出が86年(20年ぐらい前)だからしかたがないのか。

それにしても、大体のあらすじや設定を決めてぶっつけ本番てのがうっすらわかる。

キャラクターの性格描写も後年に比べて固まってないし、主役二人をのぞいた他のキャラクターと主役二人との関係性も後期で

固まったよう。

でも、一転、後期にさしかかると、いい味が出てくる。特に最後期の七、八話はアニメ版に近くとても楽しめました。

これで、もう少し描いてくれたら、と惜しくなってしまう。『ああっ女神さまっ』も並行して描かれたようだから、終わらせたのか。

いま描いたらどんな作品になるんだろう。それもまた妄想の楽しみ。





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和月伸宏 《武装錬金》第2巻


 ついに買ってしまいました。前から気になってた作品だけに期待していました。でも、古本屋に行ったら第二巻だけ…… (´Д⊂グスン

買いは買いましたが、一巻からの流れが分からないので、どうかなあと思ってみたら、( ゚Д゚)ウマー

作者は苦心しているようですが、ジャンプ系のアクション見慣れていない者にとっては良い感じに読めたと思います。

絵にだいぶ助けられてるとも思いますが。

そして、思ったこと。シリアスとコメディの妙な配分はジャンプのアクション作品に共通することなんでしょうか?

「パピ! ヨン!!」(整合性ない)と「ラブラブでボロボロ!?」(ハズカシ……)、志々雄な斗貴子(自己パクリ)にはワロタ





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H・G・ウェルズ 《タイムマシン》 / 世界SF全集 第2巻「H・G・ウェルズ」 早川書店


 最近、SFの知識薄いじゃん、ということに気づいて「SF読んでみようかな衝動」に駆られて一番初めの方から読んでみて

います。ジュール・ヴェルヌとどっちがいいかなー、と思いつつ、やっぱり興味深かったウェルズの《タイムマシン》について

述べてみましょう。


 しばらく前にH・G・ウェルズの孫が監督して映画化された《タイムマシン》がありましたが、読後、あらためて映画と照ら

し合わせてみたところ、まるっきり内容が異なっていて驚きました。基本コンセプトの時間航行機、タイムマシンに乗って、は

るか未来に旅をするというのは同じものの、それに至る動機や旅先への出来事などが違うようです。映画版が亡き恋人を蘇らせ

るために未来へ旅立ち、そこでいろいろなキャラクターたちと出会う、言ってみれば、ロマンス・アドベンチャーなのに対し、

原作では一貫して客観的、学問的に話が進んでいます。


 時間航行家(タイムトラベラー)が仲間たちと話し合っているところから話は始まります。

 時間航行家は四次元について語ります。彼が言うに、三次元内、つまり空間内では前後左右上下に動くことができ、一見した

ところ障害がないようにみえる。しかし空気の抵抗や重力があり、思ったより動くことは困難なのだ。しかし、現在では人間は

自動車や飛行機を発明し、その困難を退けてきた。ならば、三次元より一等上の四次元でもそれは可能なのではないか。その証

拠に、ある過去の出来事を思い出すことは、その時間に逆行したことになるし、重力と同様、時間も一定方向に流れるかもしれ

ないが、飛行機や気球は重力に逆らって止まることができる。ならば、機械をもってして時間も移動できるのではないか。

 彼は実際に時間航行機《タイムマシン》を製作し、時間旅行に出る。目指すは遠い未来。そして、彼は現在から八十万二千年

後の未来にたどりつくことになる……


 時間航行の理論は、今からすると物理学の進歩のせいもあるのでしょう(なんせアインシュタイン以前ですから)、まだまだ

理論的に甘いといわざるをえません。しかし、ただ読んでいる限りは、一見したところ理論的に筋が通っているところは、作者

の筆力が伺われます。 私が注目したいのは、時間航行の理論ではなく、小説の大半をしめる八十万二千年後の未来の状況でし

ょう。また数値的に大きく出たものです(笑)。《トップをねらえ!》の最後が西暦14292年だから、ゆうに七十八万年先

は行ってることになりますね。《トップ》も豪快すぎだとか言われてますが、まさかそれより百年ほど前にもっと豪快な作品が

あったとは……。とはいえ、ウルトラマンの怪獣の体重と同じで、適当な数値だと思いますから、あまり真剣に考えるのもどう

かと思いますが。

 ウェルズが書きたかったのは、おそらく人類の最終的な末路だったと思います。社会から戦争などの不安要素がすべてなくな

り、平和がやってきた先に何があるのかを想定してみたのだと。これは恐ろしい結末ですね。やっぱり人間は幸せだけだと腑抜

けになるってことでしょうか。とすれば、戦争とは未来永劫付き合わなくてはならないのか。少し考えさせられる作品です。

 こういう作品をヴィクトリア朝の1895年に書かれたというのは、まったく驚くべきことです。ただ、ヴィクトリア朝の民

族学が影響しているのか、未来人の観察は一方的な観察者の視点です。このあたり、SFというジャンルが生まれ出てくる萌芽

の時期っぽくて、私は楽しめました。


 それはそうと、八十万二千年後に人間(あるいはそれらしきもの)って生きているんでしょうかね?





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島田荘司 《夏目漱石と倫敦ミイラ殺人事件》 / 光文社


 新札発行のため、懐かしい人になってしまわれた夏目漱石先生の波乱に富んだ物語です。一言で言えば。


 若かりしころ、《我が輩は猫である》発表の前のロンドン留学時期の話ですから、1902年ごろでしょうか。漱石先生は新

しい土地になかなかなじめず、しかも語学の勉強は思ったとり難しく、激しいホームシックと心労に悩まされておりました。そ

れに追い打ちをかけるように、漱石先生が寝ておりますと、夜な夜などこからともなく不気味な物音がしてまいります。漱石先

生、これは噂聞く倫敦の幽霊かしらん、とますます胃がキリキリとしてくるのでした。そこで英語のクレイグ先生に相談してみ

たところ、この近くに相談事にかけては右に出るものはいない、と自称しているやつがいるから、相談してみるといいとおっし

ゃいました。漱石先生、クレイグ先生の言いよどむ加減を訝しみながら、”相談事のプロフェッショナル”がいるというべーカ

ー街221Bに赴くのでした……


 若かりしころの夏目漱石がロンドンの街でシャーロック・ホームズに会っていたとしたら……。そうしたミステリ好きにはた

まらない空想を描いたのが本書です。最初のアイディアはさることながら、本書を読み進めていくうちに初めに目につくのは、

その構成でしょう。夏目漱石のロンドン滞在時の未発表原稿、ワトスン博士の語られざる事件記録を交互に章だてることによっ

て、二人の人物のまったく違った視点を味わうことができるのです。一つの事件の記録であるのに、一方はホームズ礼賛(ワト

スン=主観)、一方は異邦人(漱石=客観)の立場で物語は語られていきます。《眩暈》や《ネジ式ザゼツキー》にみられる文

章における工夫を行った、御大の飽くなき挑戦が光る作品であります。

 で、内容は東洋の魔術あり、ミイラ殺人あり、密室あり、ダイイングメッセージありと、ミステリの本懐といったところが展

開されているわけですが、ホームズ譚を念頭に置いているからでしょうか、そうした要素がスマートに描かれます(つまりは、

「東洋」とか「ミイラ」ついてワトスン側の知識が浅いことが原因なのです。それらについては、むしろ漱石のほうが知識が

あるわけで、そのことが物語の重要な要素ともなっています)。

 ホームズ・パスティーシュとしても、島田荘司のノン・シリーズものとしても高位置を占めていることは間違いないでしょう。

「漱石千円札バイバイ記念」として自分的ホームズ・パスティーシュNO.1の紹介をお送りしました。

 そうそう、最近、柄刀一さんが《シャーロック・ホームズ対御手洗潔》を出しました。御大はホームズと縁があるんでしょう

かねえ。





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藤島康介 《ああっ女神様っ》1巻〜30巻 / アフタヌーンKC 講談社


 私がこの作品に興味を持った経緯は雑記帳をみてください。


 今回は絵と全体の内容について。


 まず第一に、最近の絵はどえらい綺麗ですが、「藤島康介の絵」という私のそれまでの印象だと、なんか違うような気がしま

す。と言っても、悪い意味ではありません。新しい転換期なのかもしれないし、以前と比べてグレードが上がっているわけです

から。ただ、藤島さんといえば、《逮捕しちゃうぞ》とか、ゲームでいうと《サクラ大戦》や《テイルズシリーズ》のキャラデ

ザで有名ですが、その絵の印象のまま最近、特に二十九巻や最新三十巻を見るとギャップがあって戸惑うかもしれません。20

04年ごろからの洗練具合はすごいものがあります。私はイラスト関係はそれほど知っているわけではありませんが、素人目に

もそれがわかるほど絵の質が向上しているのです。

 《逮捕しちゃうぞ》の最初のOVAがでたのが94年、《サクラ大戦》がセガサターンで初めて出たのが96年、テイルズオ

ブファンタジアが出たのが98年。現在《ああっ女神様っ》が連載マンガとしては長寿の十五周年に入っていることから、この

作品は藤島さんの絵の変移を色濃く映し出していると思われます。そこで私は、現在までの《女神様》の絵を六つの段階に分け

てみました。



 最初期−第1巻、第2巻

 第二期−3巻〜8巻

 第三期−9巻〜11巻

 第四期−12巻〜22巻

 第五期−23巻〜26巻

 第六期−27巻〜現在


 しいて言うならば、二十九巻あたりから印象が変わってきているので、第七期としてもいいかもしれません。

 上記は私の感覚で分けたものです。顔のパーツの大きさ、輪郭、表情の具合なんかが違うと思いますが、移り変わりがかなり微妙なので、どこがどう
 と質問されても明確には答えられません。



 私が一般的に「らしい」と思われるのは第四期のものです。

 いやあ、当たり前のことですが十五年書き続けると変わるもんですねえ。最初が89年ですから、まだ昭和の影響が抜けきれ

ていない時代。九十年代の興隆してくるアニメ・マンガの波を乗り越え、九十年代後期の萌文化の勃興、そして21世紀の新し

い境地へ。なんか、人生を見るようで泣けてきさえします。

 しかし、藤島さん、私の感想としては最近の「鋭い萌」(月詠とかfateなどにみられるギャルゲー発信の新しい感覚の萌のこ

と、と私が勝手に名付けてみました)とは一線を画し、独自の道を歩まれているようです。宮崎アニメや押井、大友などの日本

アニメの世界進出・評価の影響は、アニメの水準向上に拍車をかけ、芸術的とも言える作品までもがちらほら出てきています。

藤島さんもそうした方向に迎合しているのかあるいは流されているのかわかりませんが、一役買っている一人だと思われます。

最近の絵を一見すると、洗練されて彫像のようだとも思います(映画もその傾向が強いようです)。しかし、内容の方はと言え

ば、あいかわらずの予定調和、ほのぼのテイストです。失われつつある九十年代の残り香のような内容を、本人の希望なのか、

出版社の希望なのか知りませんが、現在まで生存しているのは大変興味深いと思います。

 しかし一方、十五年たっても予定調和ですから、飽きてくるのは否めません。

 たとえば、生活を根底から脅かすような「危機」はいくつか出てきているのですが、最終的な場面に直結し、命からがら、と

いうのが希薄なのです。人間ドラマにしても、螢一とベルダンディの相思相愛カップルが真ん中にいて、ウルド・スクルド以下

の人々が取り巻いて二人にちょっかいを出しながらドラマが形作られています。でも、いつもそうなのです。変化がない。九十

年代アニメのもう一つの雄、《天地無用》であるならば裏設定やなんやかんやあって、主人公を取り巻く人々の過去がさんざん

あって、あるいは親・親族におよぶ人々が遠い星々のかなたで悲喜こもごものドラマを展開している。《天地無用》は壮大な宇

宙のドラマと地球の一軒家ほのぼのドラマを対比させることによって、両者を沸き立てているのです。しかし《女神様》は一元

的というか、ストーリーの広がりが足りないのです。魔族や天界との関係性、過去話、主人公カップルを決定的に引き裂くよう

なドラマ、そういう要素がまだまだ足りない。《天地無用》のファンでもあるからかもしれませんが、どうにも緩い感じがする

のです。そうした要素を取り込むのか(いままでもいくつか取り込んではいますが)、あるいはすっぱり終わってしまうのか、

これから期待するとともに心配な現在の心境であります。


 これからもお励みください、藤島先生。






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