橋本國彦 交響曲第一番 付・交響組曲「天女と漁夫」

沼尻竜典指揮東京都交響楽団

NAXOS 日本作曲家選輯 8.555881





 一時期、日本の作曲家に熱を上げていたことがあった。たしか、ナクソスの日本管弦楽曲集と芥川也寸志のCDを買ってからだ

と思うが、かなり魅力的な曲があるのを発見し、奮ったものだった。日本人でありながら、日本の曲を知らないというのは、昨

今そうなのだと思うし、「京都に行こう」なんてのも、日本の再発見にあらためて感動するのも、欧米にはない日本独特のもの

ではないだろうか。

 ナクソスは「日本作曲家選輯」なる一連の日本作曲界の軌跡をたどるとともに、隠れた名曲を再発見しようという、まったく

もって意欲的な取り組みを行っている。価格も良心的で、千円を切るものも多い。本当にこういうリファレンスはリスナーにと

ってありがたいものだ。

 で、本題。ナクソスの日本作曲家のCDはいくつか買って、堪能したのだが、その中で特に気に入ったのが表題のものだ。日本

的、という形容詞があてはまる曲の一つであることには間違いないだろう。橋本國彦はアイヌ系北方民族や祭囃子に含まれる日

本元来の土俗的旋律を作曲の元にした伊福部昭や、雅楽の調律や旋律を元に現代音楽の発展を目指した松平頼則とはまた違った

方向性を模索した作曲家でもある。

《交響曲第一番》は「皇紀2600年奉祝曲」として戦時中に作られた。皇紀というのは戦時中の日本が、欧米の西暦に対抗し

て制定した日本固有の暦らしい。それで、戦時中の1940年がその2600年の節目にあたり、広く祝典用の曲を内外の作曲

家につのったわけだ。民衆にわかりやすく、しかし内容としては深い作品。そういうなんとも難しい命題が作曲家たちに科せら

れたわけだが、それに橋本國彦は、私の知る限り最もうまく答えた。

 第一楽章を初めて聴いたときの印象は「あれ、フランスっぽいな?」だった。静かに冷気が満ちてくるように始まる序奏に日

本的旋律によってバイオリンが被さってくる。それが一つ盛り上がってくると、今度は木管が竜笛さながら場を盛り上げ、弦に

「平安浄土」、「のびやかかな町並み、国土」を思わせる旋律が出てくる。このへん、さながら軽めのラヴェルか、でも構成は

どちらかというとドイツ的でもある。きれいというか、清らかな響きは、やっぱりフランスよりか。解説によると、この楽章は

日本の絵巻物的美意識と西洋のソナタ形式の融合なんだそうな。最初の霞がかったところは絵巻物の初めのところだし、段々と

盛り上がって、いろいろなメロディーがめくるめく展開されるてくる。なるほど、絵巻物だ。

 第二楽章は一点して南国ムード。沖縄の旋律が全編を支配する。これは言うなれば、大東亜共栄圏に象徴される南方への憧れ

をあらわしたといえる。でも、それだけではなくて、どこか沖縄にたいする愛情さえ感じられる楽章だ。ABA’という構成をとっ

ていて、Aの部分が南国・沖縄的だ。主題を「ボレロ」風に反復させるところなんかは、作曲家の嗜好があらわれている感じ。

この楽章、自分としてはとてもお気に入り。沖縄を感じさせるクラシック曲って、滅多にないんじゃないかな。

 第三楽章は変奏曲。二月十一日は「紀元節」らしくて、その日に日本全国民が愛唱した《紀元節》が主題としてとられている。

なんか、雰囲気として「君が代」っぽいと思う。まあ、戦時中ならばこういう旋律が好まれるのか。変奏曲にある手をかえ品を

かえが展開されるわけだが、日本的だが、時にフランス風、時にウィーン風の嬉遊曲みたいに楽想が次々と現れてくる。最後は

やっぱり祝典曲らしく盛り上がって壮麗に終わる。

 政治的な背景はどうあれ、この曲は見事だ。クラシックというもともと西欧のものに日本を混ぜて焼き上げた芳醇な薫りのパ

ンとも評せよう。その薫りは決して鼻につく匂いではなく、日本の薫りであり、西欧の薫りでもある。その意味で、木村屋のア

ンパンみたいに長く饗されてもいいのではないか、と思うがどうだろうか。

 最後に、橋本國彦は戦時中にこんなにも素晴らしい曲を書いたにもかかわらず、戦中から戦後の価値観の変化に心身が疲弊し、

1948年にガンのため亡くなったという。1904年生まれだから享年44才。なんとも惜しい限りである。